仕事帰りに遠回りしたくなるのはなぜだろう

帰り道

🍃~仕事帰りに遠回りしたくなるのはなぜだろう~
余白の駅           

 

#68 仕事帰りに遠回りしたくなるのはなぜだろう

仕事が終われば、早く帰りたい。

朝から何時間も働いているのだから、そう思うのが普通だろう。

ところが不思議なことに、たまに真っすぐ家へ帰りたくない日がある。

別に、家に帰りたくないわけではない。

家に嫌なことが待っているわけでもないし、どこかへ遊びに行きたいわけでもない。

ただ、あと少しだけ帰りたくない。

そんな日がある。

いつもの交差点を曲がらず、そのまま真っすぐ歩いてみる。

一本向こうの道へ入ってみたり、特に買うものもないのにコンビニへ寄ってみたりする。

ほんの十分か十五分。

それだけなのに、なぜかその時間が欲しくなる。

私は長い間、それを単なる寄り道だと思っていた。

けれど最近は、少し違うのではないかと思っている。

あの遠回りは、仕事を終えるための時間なのかもしれない。


会社を出ても、仕事はすぐには終わらない

会社の扉を出れば、勤務時間は終わる。

けれど、頭の中まで同時に仕事が終わるわけではない。

「あの件、明日確認しないとな」

「今日の説明で伝わっただろうか」

「あの言い方は、少しきつかったかな」

帰り道になってから、昼間の出来事が急に浮かんでくることがある。

仕事中には次から次へとやることがあるから、立ち止まって考えている暇がない。

ところが仕事が終わり、一人になった途端、置いてきたはずの出来事が後ろから追いついてくる。

だから、体は会社を出ていても、頭の半分くらいはまだ会社にいる。

そんな状態で家に着くと、仕事をそのまま家まで持って帰ってしまう。

もちろん、鞄の中に入っているわけではない。

けれど、目には見えない仕事が頭の中に残っている。

遠回りしたくなる日は、その荷物をどこかへ置いてから帰りたい日なのかもしれない。


いつもと違う道を歩いてみる

遠回りすると、普段は見ない景色に出会う。

知らない家の庭に花が咲いていたり、小さな公園で子どもが遊んでいたりする。

夕飯の時間なのだろう。

どこかの家から、料理の匂いがしてくることもある。

そして夕暮れになると、住宅の窓に一つ、また一つと明かりが灯り始める。

私はその景色を見るのが、昔から嫌いではない。

昼間、仕事をしていると、自分の周りだけで一日が動いているような気になる。

電話が鳴り、誰かと話し、予定を確認し、問題が起きれば対処する。

その世界の中にいると、仕事が一日のほとんどを占めているように感じる。

でも、一本違う道を歩いてみると分かる。

私が仕事をしていた間にも、誰かは洗濯物を取り込み、犬を散歩させ、買い物袋を提げて家へ帰っている。

そして、どこかの家では夕飯の支度が始まっている。

世の中には、仕事とは関係のない時間がちゃんと流れている。

そのことに気づくだけで、少し肩の力が抜ける。


遠回りには、目的がない

散歩なら、「散歩をしよう」と思って出かける。

買い物なら、買うものがある。

しかし、仕事帰りの遠回りには、たいてい目的がない。

だからいいのだと思う。

目的のある時間ばかりで一日を埋めていると、知らないうちに疲れてくる。

何時までに行く。

これを終わらせる。

あの人に連絡する。

次はこれをする。

大人の一日は、ほとんどが「何かのための時間」になっている。

だからこそ、一日の終わりくらい、

何のためでもない十五分があってもいい。

目的地は家だけれど、少しだけ到着を遅らせる。

誰かに頼まれたわけでもなく、何かを得るためでもない。

ただ歩く。

考えてみれば、そんな時間は一日の中にあまりない。


歩いているうちに、仕事の自分が薄くなっていく

しばらく歩いていると、さっきまで頭にあった仕事のことを考えなくなっている。

代わりに、

「今日は風が気持ちいいな」

とか、

「ずいぶん日が長くなったな」

とか、どうでもいいことを考え始める。

でも、その「どうでもいいこと」が大事なのだと思う。

仕事をしている自分には、役割がある。

判断する自分。

答える自分。

責任を持つ自分。

誰にでも、仕事をしているときの顔がある。

けれど、帰り道を一人で歩いているときには、誰かの期待に応える必要がない。

正しい答えもいらない。

ただの自分に戻ればいい。

そう考えると、遠回りというのは、仕事の自分を少しずつ脱いでいく時間なのかもしれない。


家へ帰るころには

結局、遠回りしても家へ帰る。

十分か十五分遅くなったところで、何かが大きく変わるわけではない。

それでも玄関を開けるころには、会社を出たときより少し気持ちが軽くなっている。

「ただいま」

と言う声も、ほんの少し違う気がする。

仕事を家まで持ち帰らず、途中の道に少し置いてこられたからだろう。

もちろん、明日になればまた仕事は始まる。

今日置いてきた問題が、勝手に解決しているわけでもない。

それでいい。

明日のことは、明日の自分が考えればいい。

今は家へ帰る時間なのだから。


仕事帰り、なぜか真っすぐ帰りたくない日。

そんな自分を、以前は少し不思議に思っていた。

でも今は、無理に急いで帰らなくてもいいと思っている。

一本違う道を歩いてみる。

少し遠くのコンビニまで行ってみる。

公園のベンチに数分座ってみる。

そのくらいの遠回りなら、一日の予定を大きく狂わせることもない。

そして、その短い時間の中で、仕事をしていた自分から、いつもの自分へ少しずつ戻っていく。

もしかすると私たちは、家へ帰るためだけに帰り道を歩いているのではないのかもしれない。

一日を終わらせるために、帰り道を歩いている。

そう考えると、遠回りも悪くない。

今日も一日、よく働いた。

だから家へ帰る前に、あと少しだけ歩こう。

急ぐ必要はない。

帰る場所は、ちゃんとそこにあるのだから。

ここは「余白の駅」。

たまには最短距離ではなく、少し遠い道から帰ってみませんか。


 🍃帰り道を、もう少し歩いてみませんか。

🍃 帰るだけの道にも、ふと足を止めたくなる瞬間があります。
「帰り道のベンチ」

帰りの電車だけで思い出すこと
帰りの電車に揺られていると浮かんでくる考えや感情。仕事終わりの静かな時間を描いたエッセイです。

🍃 静かな時間が欲しい日は、一人で歩くことが答えになることもあります。
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眠れない夜の散歩
眠れない夜、静かな住宅街を歩いてみる。答えは見つからなくても、少しだけ呼吸が深くなる夜について綴りました。

🍃 帰り道に見上げた空が、一日の終わりを教えてくれることがあります。
「月を見つけた帰り道」

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 お読みいただき、ありがとうございました。

早く帰ることだけが、いい帰り道とは限らないのかもしれません。

少し歩いて、少し考えて、そして何も考えなくなる。

そんな遠回りが、一日を静かに終わらせてくれることもあります。

今日も「余白の駅」へ立ち寄っていただき、ありがとうございました。

余白の駅 夜風


 次回予告

第69話

一人で過ごす夜が、少し好きになった理由

一人でいることと、寂しいことは、いつも同じではありません。

誰にも合わせなくていい夜だからこそ気づける、小さな心地よさについて書きます。

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