🍃~疲れた日は頑張らない。何もしない時間の過ごし方 余白の駅

#70 疲れた日は頑張らない。何もしない時間の過ごし方
「今日は疲れたな」
そう思いながら家に帰ってきたのに、なぜか人は、そこからもうひと頑張りしようとする。
やっておいたほうがいいことがある。
片づけたいこともあるし、返していない連絡もある。
明日のために準備しておいたほうが楽なことだって、いくつか思い浮かぶ。
だから、とりあえず座る前にやってしまおうと思う。
ところが、そういう日に限って体は動かない。
ソファに腰を下ろした途端、立ち上がるのが面倒になる。
そして私は、そんな自分に少しだけ腹を立てる。
「これくらい、やればいいのに」
誰に言われたわけでもないのに、自分で自分を急かしている。
考えてみれば、少し変な話だ。
朝から一日働いて、十分疲れて帰ってきた人間に、夜になってからも「まだ頑張れ」と言っているのだから。
もし目の前に同じように疲れた人がいたら、私はたぶんそんなことは言わない。
「今日はもういいんじゃない」
きっと、そう言うと思う。
それなのに、自分に対してだけはなかなか言えない。
何もしない時間を、無駄だと思っていた
若い頃は、何もしない時間が少し苦手だった。
時間があるなら何かをする。
仕事でも、遊びでも、片づけでもいい。
一日が終わったときに、
「今日はこれをやった」
と言えるものがあるほうが、ちゃんと一日を使ったような気がした。
けれど、年齢を重ねてくると、少し考え方が変わってきた。
何かをする時間だけが、大切な時間ではない。
むしろ、何もしない時間があるから、その次に動けることもある。
スマートフォンを置いて、テレビもつけず、温かいものを飲みながら椅子に座る。
窓の外が暗くなっていくのを、ただ眺めている。
五分でもいいし、十分でもいい。
何かを考えようとしなくてもいい。
そんな時間を過ごしていると、それまで頭の中で騒いでいたものが、少しずつ静かになっていく。
疲れているのは、体だけではない
「疲れた」というと、体の疲れを思い浮かべる。
しかし実際には、一日の終わりに疲れているのは体だけではないのだと思う。
人と話した。
いくつもの判断をした。
予定を気にした。
電話に出た。
誰かの言葉を気にした。
思うようにいかなかったこともあれば、明日のことを考えた瞬間もあった。
そんな小さなことが、一日の中で何十回も積み重なっている。
だから、椅子に座っているだけなのに疲れている夜がある。
何もしていないように見えて、頭の中ではずっと何かをしていたのだろう。
そんな日に必要なのは、さらに何かを足すことではなく、少し減らすことなのかもしれない。
「今日はここまで」と決める
仕事には終業時間がある。
店にも閉店時間がある。
電車にも最終がある。
ところが、自分の一日には、なかなか閉店時間を決められない。
家に帰っても、
あれをやらなければ。
これもやっておこう。
もう少しだけ。
そうやって一日を延長してしまう。
だから最近は、疲れた日には心の中で、
「今日はここまで」
と言うことがある。
もちろん、本当にやらなければ困ることはやる。
けれど、明日でもいいことまで今日の自分に背負わせる必要はない。
洗い物が少し残っていてもいい。
読みかけの本が机の上にあってもいい。
返事を明日の朝に回せるなら、それでもいい。
今日できなかったことを数えるより、今日やってきたことを一度思い出してみる。
朝起きた。
仕事へ行った。
人と話した。
一日を終えて、ちゃんと家まで帰ってきた。
それだけでも、十分な日はある。
何もしない夜にも、時間はちゃんと流れている
ぼんやりしていると、時計だけが進んでいく。
以前なら、それをもったいないと思っていた。
しかし今は、その時間も悪くないと思う。
お茶が少しずつ冷めていく。
外を走る車の音が少なくなっていく。
部屋の中が静かになり、さっきまで気になっていたことが、少し遠くなる。
何もしていない。
けれど、その間に自分の中では何かが戻っている。
呼吸がゆっくりになったり、肩の力が抜けたり、考えることをやめられたりする。
休むというのは、眠ることだけではないのだろう。
何もしなくていい時間を、自分に許すこと。
それも一つの休み方なのだと思う。
休んだからといって、問題がなくなるわけではない
もちろん、一晩休んだからといって、すべてが解決するわけではない。
明日になれば、また仕事はある。
やらなければならないことも残っている。
気になっていたことが、朝になって突然消えるわけでもない。
それでもいい。
休むことは、問題を解決するためだけにするものではない。
今日という一日と、明日という一日の間に、少し余白を作る。
それくらいでいいのではないかと思う。
夜まで今日を引きずったまま、明日へ入っていくのではなく、一度荷物を床に置いてみる。
そして朝になったら、必要なものだけをもう一度持てばいい。
頑張らない夜があってもいい
頑張ることが必要な日は、確かにある。
もう少し踏ん張らなければならない日もあるし、逃げずにやらなければならないこともある。
でも、毎日ではない。
疲れている日にまで同じ力で走り続けなくてもいい。
今日は早く寝よう。
今日は何もしないでおこう。
今日はもう、ここまでにしよう。
そんな日があっても、一日はちゃんと終わる。
そして不思議なもので、何もしなかった夜の翌朝に、昨日できなかったことをあっさり片づけられることもある。
人間は、ずっと動き続けられるようにはできていないのだろう。
今夜、もし疲れているなら、無理に一日を立派に終わらせなくてもいい。
やり残したものが少しくらいあってもいい。
温かいものでも飲んで、椅子に座る。
そして、何もしない。
「何もしなかった」と考えるのではなく、
「今日は休んだ」
そう言い換えてみる。
同じ時間なのに、そのほうが少しだけ自分に優しい。
明日のことは、明日の自分に少し任せよう。
今夜の自分には、今夜の役目がある。
一日を終えて、ちゃんと休むこと。
それだけで十分な夜もある。
ここは「余白の駅」。
今日はもう、頑張らなくてもいい時間にしませんか。
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🍃お読みいただき、ありがとうございました。🍃
何もしない時間は、空白ではなく、明日へ向かうための余白なのかもしれません。
疲れた日くらいは「今日はここまで」と、自分に言ってあげてもいい。
今日も「余白の駅」へ立ち寄っていただき、ありがとうございました。
余白の駅 夜風