仕事帰り、何もしたくない夜に。疲れた心を少し休ませる時間

余白と思考

🍃~仕事帰り、何もしたくない夜に。
      疲れた心を少し休ませる時間~ 余白の駅

#64 仕事帰り、何もしたくない夜に。            疲れた心を少し休ませる時間

玄関のドアを閉めた瞬間、外で一日まとっていたものが、全部ほどけてしまったような気がした。

靴を脱いで、鞄をいつもの場所に置き、部屋の明かりをつける。いつもなら、そのまま着替えて夕食のことを考えるのに、その日はなぜか、そこで動く気になれなかった。

「疲れた」と言えば、たしかに疲れている。でも、眠くて仕方がないわけでもなければ、体のどこかが痛いわけでもない。

ただ今日は、もう何もしたくなかった。

ソファに腰を下ろして時計を見ると、まだ夜は始まったばかりだった。夕食も、お風呂も、明日の準備もある。洗濯物も少し残っているし、返していない連絡もある。

やろうと思えば、たぶん全部できる。

だからこそ、何もしたくない自分に少し後ろめたさを感じるのだろう。

「これくらいはやった方がいい」

「時間を無駄にしない方がいい」

そんな言葉が頭に浮かんだ。でも、その夜はしばらく何もしなかった。

テレビもつけず、スマートフォンも手に取らず、ただソファに座っていた。

窓の外を車が一台通り過ぎた。遠くで犬の鳴く声がして、それもすぐに聞こえなくなった。

静かになった部屋で、私はようやく気づいた。

今日一日、ずっと何かに応えながら過ごしていたのだ。

疲れるのは、仕事をしたからだけではない

朝起きて時計を見るところから、一日は始まる。

時間に合わせて動き、仕事へ行けば人と話す。電話が鳴れば出るし、メールが届けば内容を確認する。誰かの表情を見ながら言葉を選び、予定が変われば頭の中で組み直す。

一つひとつを取り出せば、たいしたことではない。

けれど、それを朝から夕方まで何十回、何百回と繰り返している。

考えてみれば、人は一日の中でずいぶん多くのものに反応しているのだと思う。

だから家に帰り、誰にも何にも応えなくていい時間になった途端、心の奥から「もう今日はいいよ」という声が出てくるのかもしれない。

以前なら、そんな自分を怠けていると思ったかもしれない。

けれど今は、「何もしたくない」という気持ちにも、ちゃんと理由があるように思える。

人が嫌になったわけでもない。仕事を投げ出したいわけでもない。

ただ少し、自分に戻る時間が欲しいのだ。

何もしない時間を、無駄だと思っていた

私は長い間、何もしない時間をもったいないと思っていた。

時間があるなら何かをした方がいい。本を読むのもいいし、仕事を一つ片づけてもいい。明日の準備をしておけば、朝が少し楽になる。

もちろん、それは間違っていない。

でも、いつから私たちは、すべての時間に意味や成果を求めるようになったのだろう。

何もしない十五分があってもいい。

温かいお茶を淹れて、湯気が消えていくのを眺める。窓の向こうの空が青から黒へ変わっていくのを見る。椅子にもたれて、何を考えるでもなく、ただぼんやりする。

外から見れば、そこには何も生まれていない。

けれど、自分の中では何かが少しずつ元の場所へ戻っている。

今日言われた、少し引っかかった言葉。

思うように進まなかった仕事。

余計なことを言ってしまったかもしれない、という小さな後悔。

そういうものを一つずつ整理して、「これは明日でいい」「これはもう忘れていい」と、心が静かに仕分けをしている。

そう考えると、何もしない時間も、決して空っぽではない。

休むというのは、止まることではなく、自分の中へ戻ってくることなのかもしれない。

夜に人生の答えを出さなくてもいい

それでも、夜になると人は考える。

今日のことだけならまだいい。疲れているときほど、「この先どうなるんだろう」と、ずいぶん遠くのことまで考えてしまう。

このままでいいのだろうか。

もっと頑張った方がいいのではないか。

自分だけが遅れているのではないか。

不思議なもので、昼間なら笑って流せたことまで、夜になると少し重く見える。

でも、よく考えれば、一日働いて疲れた自分に人生の大切な判断まで任せる必要はない。

今日答えが出なかったことは、明日考えればいい。

それでも答えが出なければ、もう少し先でもいい。

一晩眠り、朝になってカーテンを開ける。顔を洗って、温かいものを飲む。それだけで昨夜の悩みが少し小さく見えた経験は、誰にでも一度くらいあるのではないだろうか。

夜は、すべてを解決するためにあるのではない。

今日を、今日のところまでで終わらせるためにもある。

家に帰ることと、自分に帰ること

仕事帰り、疲れているのに真っすぐ家へ帰りたくない日がある。

別にどこかへ行きたいわけではない。それなのに、いつもの道を一本外れて歩いてみたり、必要もないのにコンビニへ寄ったり、公園の前で少し立ち止まったりする。

以前は「早く帰ればいいのに」と自分でも思っていた。

でも今なら、少し分かる気がする。

体はもう仕事場を離れている。でも、心はまだ仕事をしているのだ。

だから少し歩く。

夕方の風に当たる。家々の窓に灯りがつき始めるのを見る。スーパーの袋を下げて歩く人とすれ違う。

そんな何でもない景色の中を歩いているうちに、少しずつ仕事の自分から、いつもの自分へ戻っていく。

家に帰ることと、自分に帰ることは、同じではないのかもしれない。

だから遠回りしたくなる夜がある。

あの数分は、無駄な時間ではなかったのだ。

月を見ただけなのに

ある日の帰り道、何気なく空を見上げると月が出ていた。

満月でもなかったし、特別きれいな夜空だったわけでもない。ただ、薄い雲の向こうに白い月が見えた。

「月が出ているな」

そう思って、ほんの少し立ち止まった。

十秒くらいだっただろうか。

仕事の問題は何一つ解決していない。明日の予定もそのままだし、家に帰ればやることもある。

それなのに、その十秒だけ、私は仕事のことも明日のことも考えていなかった。

ただ月を見ていた。

それだけだった。

でも、心を休ませるというのは、本当はこういうことなのかもしれない。

一時間休まなければ休息にならないわけではない。旅行へ行かなければ気分転換にならないわけでもない。

誰にも応えない十秒。

温かいお茶を飲む五分。

少し遠回りする十五分。

一日のどこかに、そういう時間が少しある。

その小さな余白に、人は思っている以上に助けられている。

「できなかった」ではなく、「今日はやらなかった」

その夜、私は結局、夕食を食べてお風呂にも入った。

でも、予定していたことを全部はやらなかった。

片づけは明日にした。返事を急がなくてもいい連絡も翌日に回した。

以前の私なら、一日の最後に「今日はここまでしかできなかった」と考えただろう。

ところが、その日は少し違った。

できなかったのではない。

今日は、やらなかった。

そう考えると、不思議なくらい気持ちが楽になった。

毎日、自分の力を全部使い切る必要はない。今日使わなかった分を、明日の自分に少し残しておいてもいい。

何もしたくない夜は、弱くなった夜ではないのだと思う。

むしろ、自分の中のどこかが、

「今日は十分やったよ」

と教えてくれているのかもしれない。

だから、そんな夜くらいは、その声を聞いてもいい。

部屋の明かりを少し落として、温かいものを飲む。

そして、一日を振り返って反省する代わりに、こう言って終わる。

「今日は、ここまで。」

明日のことは、明日の自分に任せればいい。

今夜の自分は、もう少し休んでいい。

ここは「余白の駅」。

毎日、来た電車すべてに乗る必要はありません。

疲れた夜くらい、次の一本を見送って、少しホームのベンチに座っていきませんか。


🍃こんな夜に、もう少し読んでみませんか。

仕事を終えても、心だけがまだ帰ってこない夜があります。

そんなときは、無理に気持ちを切り替えようとせず、もう少しだけ「余白の駅」を歩いてみてください。

🍃 少し遠回りして帰る理由

少し遠回りして帰る理由
家へ帰るだけなら近道が一番かもしれない。でも、少し遠回りした道でしか出会えない景色があります。心を整える帰り道を描いた「余白の駅」第60話。

🍃 静かな夜ほど心は正直になる

静かな夜ほど心は正直になる
昼間は気づかなかった気持ちも、静かな夜になるとそっと顔を出します。夜だからこそ聞こえる自分の本当の声を描いた「余白の駅」第58話。

🍃 月を見つけた帰り道

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🍃 明日は今日より少しだけ軽くなる

明日は今日より少しだけ軽くなる
今日うまくいかなかったことも、明日まで抱えていかなくていい。今日の疲れをそっと置いて、少し軽い気持ちで明日へ向かう「余白の駅」第62話。

お読みいただき、ありがとうございました。

毎日をきちんと生きようとすると、ときどき少し疲れます。

そんな日に、この場所で数分だけ立ち止まってもらえたなら嬉しく思います。

「余白の駅」は、すぐに答えを出す場所ではありません。

今日という一日を少しほどいて、また自分の歩幅で明日へ向かうための場所です。

また、少し疲れた日にでも。

夜風

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