🍃~毎日同じことの繰り返しだと感じた夜に考えたこと~ 余白の駅

#66 毎日同じことの繰り返しだと感じた夜に考えたこと
仕事を終えて、いつもの道を帰っていた。
見慣れた交差点で信号を待ち、いつものコンビニの前を通る。少し先の家では、もう夕飯の時間なのだろう。窓から明かりが漏れていた。
特別なことなど、何もない。
今日も仕事をして、一日が終わった。
そして明日の朝になれば、また起きて、仕事へ向かう。
そんなことを考えながら歩いていたら、ふと思った。
毎日、同じことの繰り返しだな。
若い頃は、もっと先のことを考えていたような気がする。
次は何をしよう。
どこへ行こう。
何を手に入れよう。
今より少しでも前へ進みたいと思っていたし、何かが変わることに期待していた。
ところが、歳を重ねていくと、人生の大部分は思っていたより地味なものであることに気づく。
朝が来る。
仕事をする。
昼飯を食べる。
また仕事をして、家へ帰る。
夕飯を食べて、風呂に入り、眠る。
そして、また朝が来る。
書き並べてしまえば、本当にそれだけである。
だから、ときどき不安になるのかもしれない。
このままでいいのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、道の向こうから犬を連れた人がやってきた。
何度か見かけたことのある犬だった。
ところが今日は、こちらを見たまま動かない。
飼い主が少し困ったようにリードを引いているのに、その犬は私のほうをじっと見ている。
すれ違うとき、思わず笑ってしまった。
昨日なら、たぶん何も感じずに通り過ぎていた。
その少し先では、小さな家の庭に花が咲いていた。
何という花なのかは分からない。
いつから咲いていたのかも知らない。
ただ、街灯の明かりに照らされた白い花が妙にきれいだった。
そういえば、昨日は雨だった。
今日は晴れている。
昨日より少し風が涼しい。
空の色も違う。
同じ道を歩いているのに、よく見れば、昨日とまったく同じものなど一つもなかった。
考えてみれば、人間もそうなのだろう。
昨日と同じ時間に起きて、昨日と同じ会社へ行ったとしても、昨日と同じ自分ではない。
誰かの一言が少しうれしかったり、仕事で小さな失敗をしたり、昼飯が思ったよりおいしかったりする。
逆に、理由もなく気分が重い日もある。
そんな小さな出来事を抱えながら、人は一日ずつ歳を重ねている。
それでも私たちは、大きな出来事ばかりを「変化」と呼んでしまう。
転職した。
引っ越した。
結婚した。
何かを始めた。
もちろん、それも人生の変化だ。
けれど、人生のほとんどをつくっているのは、そんな大きな出来事ではない。
名前さえ付かないような普通の日々のほうが、ずっと多い。
毎日同じことの繰り返し。
そう感じる夜があってもいいと思う。
私にもある。
ただ、それは「何も起きていない」ということではないのかもしれない。
同じように見える一日の中で、少しずつ何かが変わっている。
自分も変わっている。
そして、その変化はあまりに小さいから、自分ではなかなか気づけない。
家の近くまで来た頃、振り返ってみた。
さっきまで見えていた夕焼けは、もうほとんど消えていた。
空は薄い青から、ゆっくり夜の色へ変わっている。
ほんの二十分ほど歩いただけなのに、景色はもう違っていた。
明日の朝になれば、また同じように一日が始まる。
たぶん私は、いつものように仕事をする。
そして、いつもの道を帰ってくる。
それでいいのだと思う。
人生は毎日、劇的に変わらなくてもいい。
むしろ、変わらないように見える日々を重ねながら、私たちは少しずつ遠くまで歩いている。
だから今夜も、今日という一日を終えよう。
昨日とよく似ているけれど、二度と戻ってこない一日を。
最後のお礼の言葉
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
「毎日同じだな」と感じる日ほど、少しだけ周りを見てみると、昨日とは違う何かが見つかるのかもしれません。
大きな変化がなくても、今日を一日歩いたことに変わりはありません。
明日もまた、それぞれの一日を。
余白の駅 夜風
今日の余白を、もう少しだけ。
🍃 変わらない毎日の中にある、小さな幸せについて書いた一編です。
「小さな楽しみを持つ人は強い ~毎日を支える小さな幸せ~」

🍃 いつもの帰り道でも、少し歩き方を変えるだけで見える景色が変わることがあります。
「少し遠回りして帰る理由」

🍃 何気なく見上げた空に、今日という一日の違いを感じることがあります。
「今日は空を見上げただけで十分だった」

次回予告
次回の「余白の駅」は、
第67話
「何もしたくない夜があってもいい。そんな日に私がしていること」
仕事も家のことも終わったのに、何かを始める気になれない。
そんな夜に無理に自分を動かすのではなく、「何もしない時間」とどう付き合うかを書いてみます。