心に余裕がないと感じた日に、少しだけ立ち止まる

余白と思考

🍃~心に余裕がないと感じた日に、少しだけ立ち止まる 余白の駅

#71 心に余裕がないと感じた日に、少しだけ立ち止まる

朝から、どうも調子が悪い。

体調が悪いわけではない。

仕事で大きな失敗をしたわけでもなければ、誰かと喧嘩をしたわけでもない。

それなのに、なぜか落ち着かない。

いつもなら気にも留めないことが妙に引っかかる。

信号が続けて赤になる。

前を歩いている人が少し遅い。

電話を切ったあと、相手の言い方が気になる。

机の上に置いてあるものまで、なぜか邪魔に見えてくる。

そんな日が、ときどきある。

そして、こういう日に限って私は思う。

「今日は忙しいから仕方がない」

だから、さらに急ごうとする。

けれど、もしかすると逆なのかもしれない。

急がなければならないから余裕がなくなったのではなく、余裕がなくなっているから、何もかも急いで見えている。

そんなこともあるのだと思う。


時間はあるのに、余裕がない

「余裕がない」というと、時間が足りない状態を想像する。

あと十分あれば。

もう一時間あれば。

今日がもう少し長ければ。

そう思うことは確かにある。

けれど、不思議なことに、予定の少ない日でも心に余裕がないことがある。

反対に、忙しく動き回っているのに、不思議と穏やかでいられる日もある。

そう考えると、時間の余裕と心の余裕は、どうやら同じものではないらしい。

予定表に空白があるからといって、心の中にも空白があるとは限らない。

頭の中に、

「あれをやらなければ」

「これはどうしよう」

「あの話はどうなった」

そんなものがいくつも置かれていれば、何もしていない時間でさえ落ち着かない。

体は椅子に座っているのに、気持ちだけがずっと走っている。

そんな状態なのかもしれない。


小さなことに腹が立つ日は、自分を見る

心に余裕がなくなると、人の欠点がよく見える。

返事が遅い。

話が長い。

気が利かない。

どうしてこんなことも分からないのだろう。

ところが翌日になると、

「まあ、そんなこともあるか」

と思えたりする。

相手は昨日と同じ人なのに、自分の受け取り方だけが変わっている。

そういう経験を何度もしていると、小さなことに腹が立ったとき、相手だけを見るのではなく、自分の状態も見るようになった。

「もしかして、今日は疲れているのかな」

「少し余裕がなくなっているのかな」

もちろん、腹が立つ理由が本当に相手にあることもある。

何でも自分のせいにする必要はない。

ただ、今の自分がいつもの自分なのかを、一度確かめてみる。

それだけで、余計な一言を言わずに済むことがある。


立ち止まるといっても、大げさなことではない

仕事を休む。

旅行へ行く。

一日中何もしない。

そんなことができれば、それもいい。

でも現実には、そう簡単に予定を全部止めることはできない。

だから私が思う「立ち止まる」は、もっと小さなものだ。

コーヒーを飲む五分間、スマートフォンを見ない。

車を停めたあと、すぐに降りずに少し座っている。

帰り道で、いつもよりゆっくり歩く。

窓の外を見る。

空を見る。

一度、大きく息を吐く。

それくらいでいい。

何かを解決しようとしなくてもいいし、前向きな答えを探す必要もない。

ただ、それまで続いていた流れを一度切る。

ほんの数分でも、自分の時間を取り戻す。

それが私にとっての「立ち止まる」なのだと思う。


余白は、何もない場所ではない

予定のない時間。

何も考えない時間。

誰とも話さない時間。

以前の私は、そういう時間を空白だと思っていた。

できるだけ埋めたほうがいいものだと考えていたのかもしれない。

けれど今は、少し違う。

文章にも余白があるから読みやすい。

音楽にも間があるから、次の音が生きてくる。

建物だって、物を置けるだけ置けば暮らしやすくなるわけではない。

人間も同じなのではないだろうか。

予定と予定の間。

言葉と言葉の間。

今日と明日の間。

そこに少し何もない場所があるから、次へ進める。

余白は、何もない場所ではなく、次の何かを受け入れるための場所なのかもしれない。


全部を今日のうちに片づけなくてもいい

心に余裕がない日は、なぜか全部を終わらせたくなる。

この仕事を片づけてから。

この問題を解決してから。

この返事をしてから。

そうすれば落ち着けると思う。

ところが、一つ終わると、また次が見つかる。

大人の毎日は、なかなか「全部終わりました」にはならない。

だから、ときには終わっていないまま席を立つことも必要なのだろう。

「これは明日でいい」

そう決める。

問題が消えたわけではない。

ただ、今日の自分が持つ荷物から一度下ろす。

それだけでも、心の中に小さな場所が空く。


心に余裕がない自分を、責めなくてもいい

穏やかでいたいと思う。

人には優しくしたいし、小さなことで腹を立てたくもない。

けれど、人間だから、いつも同じではいられない。

疲れる日もある。

考えることが多すぎる日もある。

なぜか気持ちが整わない朝もある。

そんな自分を見つけたとき、

「もっとちゃんとしなければ」

と、さらに自分を追い込む必要はないのだと思う。

余裕がないことに気づけたなら、それで十分なのかもしれない。

気づけば、少し休める。

気づけば、一歩引ける。

そして気づけば、誰かにぶつける前に自分の中で止められることもある。


夕方になり、ようやく一日が静かになってくる。

朝から気になっていたことも、少し遠くに感じる。

「なんで、あんなことで腹を立てていたんだろう」

そう思う夜もある。

たぶん、問題が小さくなったわけではない。

自分の中に、少しだけ余白が戻ったのだ。

心に余裕がない日は、無理に前へ進まなくてもいい。

ほんの少しだけ立ち止まる。

空を見る。

温かいものを飲む。

何もしない時間をつくる。

そして、

「今日は少し余裕がなかったな」

と自分に言ってみる。

それだけでいい。

明日になれば、同じ景色が少し違って見えるかもしれない。

ここは「余白の駅」。

急いでいる日ほど、ほんの少しだけ立ち止まっていきませんか。


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 お読みいただき、ありがとうございました。

心の余裕は、無理につくるものではなく、少し立ち止まったときに戻ってくるものなのかもしれません。

今日も「余白の駅」へ立ち寄っていただき、ありがとうございました。

余白の駅 夜風 MASAMI

 

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