一人で過ごす夜が、少し好きになった理由

一人時間

🍃~一人で過ごす夜が、少し好きになった理由~  余白の駅

 

 

#69 一人で過ごす夜が、少し好きになった理由

 

夜、一人になる。

テレビをつけなければ、部屋は思っている以上に静かだ。

冷蔵庫の小さな音が聞こえ、外を車が通れば、その音だけが部屋の中まで入ってくる。

以前の私は、そんな静けさを少し持て余していた。

一人でいるなら、何かをしたほうがいい。本を読んだり、テレビを見たり、誰かに連絡したり。

何もしないで一人でいる時間を、どこか「空いてしまった時間」のように考えていたのだと思う。

けれど最近は、その時間が少し好きになった。

何か特別な出来事があったわけではない。

ただ、長く仕事をして、人と会い、いろいろなことを考える毎日を過ごしているうちに、誰にも合わせなくていい時間が思っていた以上に大切だったことに気づいた。


一日は、思っている以上に誰かに合わせている

朝起きれば、時間を見る。

仕事が始まれば、予定に合わせる。

人と会えば相手の話を聞き、電話が鳴れば出る。約束があれば、その時間に遅れないように動く。

もちろん、それは普通のことだ。

人と暮らし、人と仕事をしている以上、自分の都合だけで一日を過ごすことなどできない。

それに、誰かと話したり、一緒に食事をしたりする時間は楽しい。

だから私は、人といることが嫌いなわけではない。

ただ、一日を振り返ってみると、私たちは思っている以上に、誰かの時間の中で生きている。

「今、話しても大丈夫かな」

「これを言ったらどう思うだろう」

「そろそろ行かなければ」

そんな小さな判断を、一日の中で何度も繰り返している。

そして夜になり、一人になる。

その瞬間、ようやく時計から少し離れられる。


お茶を飲む時間さえ、自分で決められる

一人の夜には、夕飯を食べる時間を少しくらい遅らせても誰も困らない。

お風呂に入るのも、もう少し後でいい。

温かいお茶を淹れて、しばらく椅子に座っていてもいいし、読みかけの本を二ページだけ読んで閉じてもいい。

眠くなれば寝ればいい。

何もしたくなければ、何もしなくてもいい。

考えてみれば、たいした自由ではない。

けれど、大人になるほど、こういう小さな自由が案外うれしい。

誰かに許可をもらう必要もなければ、理由を説明する必要もない。

今、自分がどうしたいのかを、自分で決められる。

それだけのことなのに、心が少しほどける。


静かな夜には、自分の気持ちが遅れてやってくる

昼間は、目の前のことを片づけるだけで一日が過ぎていく。

仕事をしている最中に、

「私は今、どんな気持ちだろう」

などと考えている暇はあまりない。

ところが、一人になって静かにしていると、昼間には気づかなかった感情が遅れてやってくることがある。

今日、誰かに言われた一言。

うまくいった仕事。

少し気になっていたこと。

そして、どうでもいいと思っていたのに、実は少しうれしかった出来事。

「ああ、今日はこんな一日だったんだな」

夜になって初めて気づく。

だからといって、深く考える必要はない。

答えを出さなくてもいい。

ただ、自分の中に残っていたものを一度眺めてみる。

それだけで、一日が少し整理されていくような気がする。


一人でいることと、寂しいことは同じではなかった

以前は「一人」という言葉に、どこか寂しい響きがあるように感じていた。

一人で食事をする。

一人で出かける。

一人で夜を過ごす。

けれど、実際に一人の時間を過ごしてみると、それだけではなかった。

誰かと過ごしたい夜もある。

もちろん、話を聞いてほしい日だってある。

しかし反対に、誰とも話さずにいたい夜もある。

どちらが正しいわけでもない。

人に会いたい自分も自分だし、一人になりたい自分も自分なのだと思う。

そう考えるようになってから、一人でいることを寂しさと結びつけなくなった。

むしろ、一人でいられる時間があるからこそ、また誰かと会いたくなる。

そんな気さえしている。


スマートフォンを置いてみる

ただ、一人でいるだけでは、一人の時間にならないこともある。

スマートフォンを開けば、そこにはたくさんの人がいる。

誰かの仕事。

誰かの食事。

誰かの旅行。

誰かの意見。

部屋には自分しかいないのに、気づけば何十人もの一日を眺めている。

それも楽しいのだけれど、疲れている夜には少し多すぎることがある。

だから最近は、ときどきスマートフォンを伏せて置く。

ほんの十分でもいい。

すると、部屋の静けさが戻ってくる。

外から聞こえる音や、湯気の立つカップや、窓の向こうの夜の色。

それまで見えていなかったものが、少しずつ戻ってくる。

そして不思議なことに、何も起こっていないその時間が心地よく感じられる。


「何もしなかった夜」ではなくなった

以前なら、一人でぼんやり過ごした夜を、

「今日は何もしなかった」

と思っていた。

しかし今は、少し違う。

一日中、人の中で過ごしてきた自分を、元の場所へ戻していたのかもしれない。

仕事のことを考えていた頭を休ませる。

誰かに合わせていた気持ちを緩める。

そして、明日また外へ出ていくために、自分の時間を取り戻す。

そう考えれば、一人の夜は決して空白ではない。

むしろ、一日の中に必要な余白だった。


一人で過ごす夜が、私は少し好きになった。

華やかなことは何もない。

温かいものを一杯飲み、窓の外を眺め、眠くなったら布団へ入る。

それだけで終わる夜もある。

でも、そんな夜の翌朝は、少しだけ気持ちが整っていることがある。

昨日まで気になっていたことが、たいしたことではないように思えたりもする。

きっと、一人の時間が何かを解決してくれたわけではない。

ただ、自分の中にあったものを、自分の場所へ戻してくれたのだろう。

だから今夜も、一人の時間ができたなら、無理に埋めなくてもいいと思っている。

何かをしなくてもいい。

誰かとつながらなくてもいい。

静かな部屋で、自分の好きなように過ごす。

そんな夜があるから、明日また誰かのいる場所へ歩いていける。

ここは「余白の駅」。

今夜は少しだけ、自分のために席を空けておきませんか。


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※こちらは公開済み記事の実際のURLをWordPressから入れてください。


 🍃お読みいただき、ありがとうございました。🍃

一人でいることは、何かが足りない時間ではないのかもしれません。

誰にも合わせず、自分の速さに戻る。

そんな静かな夜も、一日の大切な時間です。

今日も「余白の駅」へ立ち寄っていただき、ありがとうございました。

余白の駅 夜風


 次回エッセイ

第70話

疲れた日は頑張らない。何もしない時間の過ごし方

疲れているのに、「何かしなければ」と考えてしまう。

けれど、本当に疲れた日くらい、何もしない時間があってもいいのではないでしょうか。

次回は、疲れた日にあえて頑張らない時間について書きます。

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