🍃~一人の時間が大切だと思うようになった理由~ 余白の駅

#65 一人の時間が大切だと思うようになった理由
若い頃は、一人でいることをそれほど好きではなかった。
誰かと話していたり、どこかへ出かけたり、予定が入っていたりするほうが、毎日をちゃんと生きているような気がしていたのだと思う。
何も予定のない休日があると、少しもったいないような気さえした。
ところが、いつの頃からだろう。
誰にも会わず、誰とも話さず、一人で過ごす時間を心地よいと思うようになった。
もちろん、人が嫌いになったわけではない。
むしろ、歳を重ねるほど、人とのつながりのありがたさは分かるようになった気がする。
それなのに、一人の時間も同じくらい大切になった。
少し不思議な話である。
朝、少し早く起きてコーヒーを飲む。
休日に目的もなく歩いてみる。
車の中で好きな音楽を流すこともあれば、何も流さず、ただ外の景色を眺めることもある。
そんな時間には、誰かに何かを説明する必要がない。
「今日はどうだった?」
と聞かれることもなければ、
「これからどうする?」
と答えを求められることもない。
ただ、自分がそこにいる。
それだけの時間である。
けれど、そういう何でもない時間が、思っている以上に心を整えてくれる。
仕事をしていれば、いろいろな人と話す。
相手の話を聞き、自分の考えを伝え、ときには言いたいことを少し飲み込む。
家庭でも、友人との付き合いでも、それは同じだろう。
人と生きるということは、たぶん、自分のことだけを考えていればいいわけではない。
だからこそ、人と一緒にいる時間には、小さな気遣いがいくつもある。
それは決して悪いことではない。
むしろ、そうやって人は支え合っている。
ただ、その小さな気遣いが一日の中で積み重なると、知らないうちに自分の声が聞こえにくくなることがある。
「本当は今日は疲れていたな」
「少し無理をしていたかもしれない」
「さっきの言葉、少し気になっているな」
普段なら通り過ぎてしまう気持ちが、一人になると、ゆっくりこちらへ戻ってくる。
以前の私は、一人の時間を「何もしない時間」だと思っていた。
でも、今は少し違う。
何もしないのではなく、自分に戻っている時間なのだと思う。
誰かの期待に応える自分でもない。
仕事をしている自分でもない。
家族の中にいる自分でもない。
肩書きも役割も、ほんの少し横に置いてみる。
すると、その奥にいた自分が、ようやく椅子に座る。
そんな感覚がある。
だから最近は、一人になりたいと思ったとき、それを悪いことだとは思わなくなった。
「疲れているから一人になりたい」
そんな日もあるだろう。
けれど、それだけではない。
人にはときどき、誰かから離れたいのではなく、自分のところへ帰りたい時間が必要なのではないだろうか。
一人の時間が好きだからといって、人を大切にしていないわけではない。
むしろ、一人で静かに自分を整える時間があるからこそ、また誰かと笑って話せることもある。
夕方、一人で歩いていると、住宅の窓に灯りがつき始める。
どこかの家から夕飯の匂いがして、遠くから子どもの声が聞こえる。
やがて、自分も帰る場所へ向かう。
そんなとき、一人で歩いているのに、不思議と孤独ではない。
今日も一日、いろいろな人の中で過ごした。
そして今、ほんの少しだけ自分の時間を歩いている。
それでいいのだと思う。
一人の時間とは、世界から離れるための時間ではない。
もう一度、自分の足で世界へ戻っていくための、小さな余白なのかもしれない。
お礼の言葉
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
忙しい毎日の中で、一人になれる時間はほんの少しかもしれません。
それでも、そのわずかな時間が、自分の気持ちを取り戻す場所になることがあります。
今日どこかで、あなたにも静かな余白がありますように。
余白の駅 夜風
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