予定のない休日を一人で過ごす。それも悪くないと思えた日

一人時間

🍃~予定のない休日を一人で過ごす。それも悪くないと思えた日~
余白の駅

#73予定のない休日を一人で過ごす。それも悪くないと思えた日

朝、目が覚めた。

時計を見る。

まだ起きなくてもいい時間だった。

今日は仕事がない。

誰かと会う約束もない。

どこかへ行く予定もない。

それならもう少し眠ろうかと思ったけれど、一度目が覚めてしまうと、なかなか眠れない。

仕方なく布団から出て、カーテンを開けた。

外はよく晴れていた。

こんな日に予定がないのは、少しもったいない気がした。

どこかへ行こうか。

何かしようか。

せっかくの休日なのだから、普段できないことをしたほうがいい。

そんなことを考えながら、とりあえずお湯を沸かした。

ところがコーヒーを飲み始めると、さっきまで考えていた「何かをしよう」という気持ちが、だんだんどうでもよくなってきた。

窓から入る朝の光が気持ちよかった。

時計を見る必要もない。

だったら今日は、このままでもいいか。

そう思った。


休日まで予定を入れようとしていた

仕事の日は、時間に合わせて動く。

何時に出る。

何時に会う。

ここまでに終わらせる。

次はこれをする。

一日がいくつもの予定で区切られている。

だから休日くらい自由に過ごせばいいはずなのに、いざ何も予定がないと落ち着かなくなる。

「今日は何をする?」

自分で自分に聞いてしまう。

そして、何も思いつかないと、せっかくの休日を無駄にしているような気になる。

考えてみれば不思議な話だ。

平日は予定に追われているのに、休日になると自分から予定を探している。

休みなのだから、休めばいい。

ただ、それだけのことが意外と難しい。


朝ごはんが少し遅くても誰も困らない

予定がない休日は、朝ごはんの時間も決まっていない。

お腹が空いたら食べればいい。

いつもより遅い時間にパンを焼いて、もう一杯コーヒーを淹れる。

テレビをつけてもいいし、つけなくてもいい。

新聞や本を読んでもいいし、何もしなくてもいい。

今日は誰かに、

「何時に来る?」

と聞かれることもない。

こちらから、

「今から行きます」

と連絡する必要もない。

そんな当たり前のことが、妙にうれしい。

大人になると、自由というものを少し大げさに考えてしまう。

好きな場所へ旅行すること。

好きなものを買うこと。

好きな仕事をすること。

もちろん、それも自由だと思う。

でも、

お腹が空いた時間にごはんを食べる。

そんな小さなことも、立派な自由なのかもしれない。


何もしないでいると、何かしたくなる

昼近くになると、不思議なことが起きる。

朝は何もしたくなかったのに、少し動きたくなってくる。

部屋の隅に置いてあったものを片づけてみたり、窓を開けて風を入れたりする。

誰かに言われたわけではない。

今日やらなければならないことでもない。

ただ、

「ちょっとやろうかな」

と思った。

同じことをするのでも、「やらなければ」と「やろうかな」では、ずいぶん気分が違う。

そして私は、こういう時間が好きだ。

予定が先にあるのではなく、気持ちが先に動く。

やりたくなったからやる。

疲れたらやめる。

休日くらい、それでいい。


一人だから、途中で予定を変えられる

午後になって、少し外へ出たくなった。

どこへ行くかは決めていない。

とりあえず歩く。

いつもの道を歩いて、気になった店があれば入る。

何もなければ、そのまま帰ってくる。

一人でいると、こういう気まぐれができる。

「次はどうする?」

と相談しなくてもいい。

途中で気が変わっても、誰にも説明しなくていい。

公園のベンチが空いていたら座る。

少し風が吹いていたら、そのままぼんやりする。

そして、

「そろそろ帰ろうかな」

と思ったら帰る。

何か特別なことをしたわけではない。

それでも、妙に満足している自分がいる。


充実した休日って、何だろう

以前は、休日の終わりに、

「今日は何をした?」

と考えることがあった。

どこかへ行った。

買い物をした。

誰かと会った。

何か一つでも答えられると、休日を有効に使ったような気がした。

けれど、予定のない休日を何度か過ごすうちに、それも少し変わってきた。

何もしなかった一日でも、気持ちが軽くなっていれば、それでいいのではないか。

ゆっくり眠れた。

温かいコーヒーを飲んだ。

少し歩いた。

空を見た。

昼寝をした。

それだけで一日が終わったとしても、明日の朝、

「またやろうか」

と思えるなら、十分な休日だったのだと思う。

休日は、思い出を作るためだけにあるのではない。

何も持たずに次の一週間へ戻るための日があってもいい。


予定のない時間には、余白がある

何も決まっていない一日は、真っ白な紙に少し似ている。

そこへ何を書くかは、そのとき決めればいい。

何も書かなくてもいい。

少しだけ書いて、途中でやめてもいい。

誰かに見せるものではないのだから。

予定がないというのは、「することがない」のではなく、

まだ何をしてもいい時間が残っている

ということなのかもしれない。

そう考えるようになってから、予定のない休日が少し好きになった。


夕方になった。

結局、今日はたいしたことをしていない。

遠くへも行かなかった。

誰かと会ったわけでもない。

それでも、朝より少し気持ちが軽い。

窓から入っていた明るい光は、いつの間にか夕方の色に変わっている。

「今日は何もしなかったな」

以前なら、そう思ったかもしれない。

でも今日は違った。

「今日は、好きなように過ごしたな」

同じ一日なのに、言葉を変えるだけでずいぶん違って聞こえる。

明日はまた、時間を気にする一日が始まる。

予定もある。

やらなければならないこともある。

だからこそ今日くらい、何も決めなくてよかったのだと思う。

予定のない休日を、一人で過ごす。

それは決して、寂しい休日でも、もったいない休日でもなかった。

何時に何をするかを誰にも決められず、自分でも決めすぎない。

そんな一日が、忙しい毎日の中に一日くらいあってもいい。

ここは「余白の駅」。

今日は時刻表を見ずに、来た電車に乗るくらいの一日でもいいのかもしれません。


 🍃予定を入れない一日に、もう一編いかがですか。

🍃 誰にも合わせなくていい時間が、少しずつ好きになった理由を書いています。
「一人の時間が大切だと思うようになった理由」

一人の時間が大切だと思うようになった理由
一人の時間が大切だと思うようになった理由。誰かを嫌いだからではなく、一人で過ごす時間は自分の気持ちを静かに取り戻すための時間なのかもしれません。忙しい毎日に少しだけ余白をつくるエッセイです。

🍃 一人の夜は、寂しい時間ではなく、自分の速さへ戻る時間なのかもしれません。
「一人で過ごす夜が、少し好きになった理由」

一人で過ごす夜が、少し好きになった理由
一人で過ごす夜が、少し好きになった。寂しいからではなく、誰にも時間を合わせず、自分へ戻れるから。一人の夜に感じる静かな心地よさを綴った「余白の駅」のエッセイです。

🍃 何もしない時間を「無駄」ではなく「休んだ時間」と考えてみる一編です。
「疲れた日は頑張らない。何もしない時間の過ごし方」

疲れた日は頑張らない。何もしない時間の過ごし方
疲れた日は、頑張らなくてもいい。何もしない時間に罪悪感を持たず、心と体を休ませる夜の過ごし方について綴った「余白の駅」のエッセイです。

 お読みいただき、ありがとうございました。

予定がない休日は、何かで埋めなければならない空白ではないのだと思います。

起きる時間も、出かける場所も、そのときの自分に任せてみる。

そんな一日があるから、また予定のある毎日へ戻っていけるのかもしれません。

今日も「余白の駅」へ立ち寄っていただき、ありがとうございました。

余白の駅 夜風 MASAMI 

\ 最新情報をチェック /

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました